12 11月

「自然・土・隣人を愛する人よ。共にある人生を祈る」

私は、ある目的(目標)のために、まず手始めに山村から少し離れたところに山小屋を建てたが(まだまだいろいろな整備や準備が求められるが…)、それひとつを中心に考えても、もし、それに関係して下さった人たちの心と愛、そして、行動力の後方支援がなかったら、山小屋とそれを取り巻く一部の山林も手にすることはなかったと実感する昨今である。
特に、私を我が子のように可愛がって下さる方がおられるが、その人のみえるところ、みえないところでの、陰日向になりの尽力がなかったら、経済的な問題がどれだけクリアーできたとしても、私とその計画は挫折していたであろう。実にそれくらいたいへん困難な課題があった。
私には、実際のところ、目的(目標)達成するための経済的力はない。しかし、それが故に関係した人はどれだけ苦労されただろうか。それを思うとき、たかが、山小屋ぐらいと思った瞬間に、私はすべてを失うことになるだろう。また、これからの長期計画は皆無にひとしいことになる。私の狭き心故に感謝と感動が溢れ出て流れさる。今の水面下での取り組みの中で溢れ出る感謝と感動をうけとめることができる幅広く底深い心を育みたい66歳のオッサンである。具体的に伝えようとすると切り目がない。水・電気、そして、汚水のこと等など課題が一杯あった。
そこで、再度、深く学んだことがある。お金が絡んできた時に人間の心と愛、それを土台とした行動力が気ままな風におどらされ、どこかに飛んでいってしまうことを。同時に、経済的力を持ってして、成し遂げようとする目的(目標)達成が、私にとっては、いかに虚しい実を結ぶ取り組みかを。
自然を愛し、土を愛し、見知らぬ隣人を愛する人よ。幸多くあらんことを祈る。私自身、稲穂が垂れるがごとく、我が頭を垂れる人生でありたいと祈る。